愉気 – 野口整体の気の手当て

生命のもとは「気」と「勢い」

中国の古典思想書『荘子』の中に、「生と死は一つの現象である。気が集合するとそこに命が生まれ、気が散ると死に至る。」という一説があります。

整体は病気や怪我のような表面的な現象よりも、その人に「元気」や「活気」、また「勢い」があるかどうかということを最も重要視します。

どんなに重い症状に苦しんでいる人でも、体の奥に勢いがあればそこから自分の体力で回復します。逆に勢いがなくなると、小さな病気や怪我でも寝込んでしまうことがあります。

整体の全ての技術はこうした「気」の性質に着目して、構築されています。

愉しい気で包む

そこで整体では「体から元気や勢いが抜けてしまった時はどうしたらいいか?」ということを考え、生きた身体を見続けた経験から「気が欠乏したところに気を集める」ことを考案しました。

整体では自分で意識をコントロールして身体の必要なところに気を行かせることを「行気」(ぎょうき)といいます。また自分の手から他者へ送ることを「愉気」(ゆき)といいます(触れなくても愉気はできます)。

はじめは輸血のように「気を輸送する」、という意味で輸気と書いていましたが、やがて気は輸送するものではなく、相手を楽しい(愉しい)気で包んで中の勢いを活発にしていくことであると考え、愉気に変わったといわれています。

気は共鳴する

人の回復力や生命力を考える上で、気持ちやメンタルの占める割合は存外に大きくこれを無視することはできません。

例えば風邪をひいている時に、気の合う人と会って話したり、楽しい空想をすると急に顔色が良くなったり体が軽くなることを経験された方はいらっしゃると思います。

こんなふうに「元気な人につられて元気になってしまう」ということが、人間の生活ではよくあります。

整体ではこれを「感応」といいます。

つまり元気な気、快活な気で人に接することで、相手の元気を誘うのです。これを意識して用いれば「愉気」となり、愉気をベースとして体の各処を刺戟する技術を総じて「整体操法」といいます。

障子越しのやさしい明かり

愉気は通常患部に手を当てて行いますが、触れなくても離れていてもできます。

「手を当てると良くなる」と思うと初心のうちはどうしても手に力が入りやすいのですが、本来は愉気をする方も受ける方もできるだけリラックスして行います。

なぜなら力みや緊張は体の回復作用を妨げるからです。

真夏の太陽は爽快ですが、浴びつづけるとやけどをしてしまいます。これと同じように、強い光源よりも、障子越しのかすかな明かりをイメージして行うことで体の中に深い安心感が生まれます。

上手な人の愉気を受けているとつい眠ってしまうことがありますが、「なんとなく気持ちがいい」という感覚を大切にすることで相手はゆるんできます。

心身ともにゆるんでくると、肌がしっとりと汗ばんでくるのでそこで愉気をやめると呼吸が深くなり視界が開けます。

実際に受けたりやってみると小さな刺戟でも、体が変わることを実感されると思います。

気は言葉で説明しようとするとわかりにくいものですが、体験することで誰でも感じることができる生き物の共通感覚といえるでしょう。