治療を考える

治療とは「何」か

このページでは治療とは一体どのような行為を指すのか、ということを考えてみようと思います。因みに法律的には日本で治療を行えるのは医師のみです。それ以外の職業にある人が治療的行為を行ない、またその効果を主張することは違法となります。ですのでここでは社会一般通念上の「治療」の概念まで範囲を広げて考察したいと思います。

一般的には人が病気やケガといった不快症状に陥った時にそこから早く逃れる目的で「治療」は求められます。そのために治療とは「病的な症状を消滅させる行為」、もしくは「発症またはケガをする以前の状態に戻す行為」のように漠然と思われているのではないでしょうか。

命は正常であろうとする

ところが冷静に身体上の変化を観察してみると、病症にはある「意味」が備わっていることがわかるのです。ひとつ熱を例にとってみるとわかりやすいと思いますが、発熱という作用は身体内の温度が上がることで黴菌を殺します。そしてその温度によって内臓や骨格筋もゆるみ、からだ全体を本来の位置に戻す動きが起こります。

このように生命にはもともと「全体性」を保ち続けようというある「はたらき」が備わっている訳です。それは「自然治癒力」であるとか「恒常性維持機能」とか、また「動的平衡」などあらゆる表現法がありますが、いわゆる命が「正常であろう」とする力です。

現代の常識的には病気とはこの「正常であろう」とする力を脅かす存在としてとらえられ、その予防と排斥に近現代の医学の力は注がれてきたと言えます。

治療とは呼べないもの

ところが先ほどの熱の例に戻って考えると、黴菌を殺す熱は身体を治す役割をになっているのにそれを薬によって下げるということは黴菌の方に加担していることになります。こうした例に限らず現代の日本ではあまりに手を加えすぎて反って生命の流れを歪め、症状をこじらせてしまう問題(医原症)が後を絶ちません。

本来は身体の平衡要求が活性化するように助けることが治療であるべきなのに、熱が出たらそれを下げる、悪いものを食べて下痢をしたらその下痢を止める、こういうことが治療として行なわれているのは実際不思議です。

生命活動を支える行為

そのように考えていくと、治療というのはもっと自然の体力が活発になるように環境を整えるなどして生命活動をゆるやかに支えていくほうがずっと理想的です。

これを少し分解して考えると被治療者の自己治癒力を「引き出す」「妨げない」「障害を取り除く」という三つの段階に分けることができます。これは精神科医の神田橋條治先生からお借りした言葉ですが、治療者としての理想的な態度が端的に纏められていて興味深い表現です。

せい氣院の手法

ちなみにせい氣院の個人指導においては「対話」「手当て」「自由運動」を主に用いています。これらは全て先に表した3つの段階を充たすように心掛けて構成されています。これらの手法によってクライエントの心が自然に動き始めて本来の「らしさ」や「自発性」を取り戻していくことを期待します。なぜなら人間の体力というのは自分の意志で動いた時にもっともよく発揮されるからです。

つまり身体内の病症という自然治癒のはたらきを100%活用して心身を丈夫に創り変えてしまうような、野性的な体力を揺す振り起こす方法を採用しています。

治療を考える

よって当院なりに「治療とは何か」をまとめてみると、

  • 治療とは相手の生命活動を邪魔しないこと
  • 治療とは相手の力に気づかせること
  • 治療とは自発的に動ける心身を保たせること

以上の3点に集約されます。

臨床に於いての個々の手法は今後も改良の余地はありますが、当院の個人指導は原則的にこの価値観に則して行っていきます。一般的な概念と比較すると場合によっては正反対になる面もがりますが、自身の体験に基づく正直な価値観です。自身の命にみだりに手をつける前にみなさんにとっての「治療」とは何か、を一度よく考えてみてはいかがでしょうか。