せい氣院

整体とはどんな身体か

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

整体指導では「整体という状態」を身心の理想的な姿と考え、その実現に向けて取り組みを進めます。

不安になると首の前側の筋肉が縮んであごが前に出てきます。ゆるむと自然と首の後ろ側が上方にまっすぐ伸びていきます。

リラックスすると横隔膜がゆるんで、上下の振幅が大きくなります。

上記に挙げた部位に限らず、筋・骨・内臓、血管、あらゆる所がやわらくなっている。

筋肉・内臓の緊張がなくなると、骨格は自然にニュートラル・ポジションに戻ります。

良性意念 - 良い空想が沸く整った体

背骨の中には脳に直接つながる中枢神経系(脊髄)があります。背骨が伸びると脊髄から信号が行き、脳の働きが変わります。

何でもできるような気持ちになり、万能な感覚を覚えるという覚せい剤も中枢神経に作用しますが、自らの自然な力で整った体から沸き起こる感覚は静かで穏やかなもので、薬のような激しい高揚感とは異質なものです。

このことから、思考をリードするのは体であると言えます。

不安や恐怖といった感情は未来や過去を頭の中で仮想して生まれるもので、自然に体が整うことでこういった感情に左右されにくい状態を維持することができます。

抑うつ傾向の体が増える時代の背景

デスクワークが増え、頭が忙しい現代は日常のなかでも体を使う機会が減ったため、精神疾患が目立ってくるのも当然のことと言えるでしょう。

笑えば全身の筋肉が弛み、怒れば固くなる。恥ずかしくなれば赤面し、感極まれば涙となり...といったように、体の反応は感じると同時に起こります。

理性で統制することが優位になり身体感覚が乏しくなった現代は、体の異変や心の違和感を感知する「異常感」も希薄になってきています。

ストレス社会と言われている世の中ですから、時には感じることに蓋をして過ごさなければならない場面も多くあるのでしょう。そんな中でも体は感情を絶えず受けとめています。

体は不快を感じつつ心を閉ざす「生理と心理が分離された状態」のままでは不調が生じるということは想像がつくと思いますが、問題はそういった状態が続くと感覚が麻痺して自覚ができなくなること。鈍りが慢性化した状態です。

心と体の一体感を取り戻す

思考をリードする体がしっかりしていれば問題が解決するかというと、残念ながら人の心や体はそんなに単純なものではありません。

体だけを操作しても、その人らしさが曇っていてはどこかに不調を抱えていると言えるでしょう。

一方で心や考えばかりに注力し、どんなに優れた思考法を採用しても、土台となる体がおざなりになっていては一過性のもので終わってしまいます。

心と体は一つと言葉で言うことは容易ですが、調子が良い時に健康を意識しないように、実際はそのことさえ忘れて目の前のことに取り組んでいる状態が一体になっていると言えるでしょう。

病や痛みを通して見えてくるもの

自分らしくあるということはとても大きなテーマだと思いますが、自分が心の底から求めているものは「快や不快、病や痛み」といった感覚を通して、すべての出来事から見えてきます。

何か問題にぶつかった時、私たちはひたすら考え、力で何とかしようと試みます。ですが人の力が及ばないことが多くあるのも事実です。

自分の意思ではどうにもならない事象に対して、ただ見つめる・委ねるという行為は一見消極的に思うかもしれませんが、逆に言えば「積極的に何もしない」ということは、自身を信じる力強い行動でもあるのです。

悩みの中に身を置くというのは大変辛いものですが、身に起こったことに対して、時に迷いながらもただ見つめるという姿勢を持ち、自分の感受性傾向を探っていくことを「自然を味方につける」という風にも言えるのではないでしょうか。

とても地味なことですが、自身の感覚を頼りにして得たものは糧となり、その人らしさが心身という形をとって生活の中に現れていきます。