せい氣院

はじめての方へ

体を整えて生命を全うする

せい氣院は「よく生きる」を目標に、一人の人の健康生活を総合的に支援する整体指導室です。

整体というと一般的には指圧やマッサージに似た民間療法として広く認知されていますが、当院で行っているものはこれと異なり、現在の整体の原形である「野口整体」の理念を踏襲するものです。

野口整体とは正式には「整体法」と言い、人間の無意識のはたらきを活用して生命全体の調和をはかる総合的な体育法のことです。これによって自身の生命の持つ可能性を掘り起こし、より「よく生きる」ための身体の教養でもあります。

整体法は他の手技療術と外見は似ていますが、施術者が患者に対して一方的に施すとはものとは全く別のものです。体を整えることで生命を全うしようと志す者が主体的に取り組み、学び、時に指導者の手を借りながら実践していく処に本来の姿があります。

これによって各々が与えられた〈いのち〉の要求を感じ、その実現に向けて全力を発揮していくことが目的です。

そして「よく生きるとは何か」を自己の責任のもとに参究し、生命の根源的要求を使い切って死ぬことにその完成があります。

なお整体法のこのような考え方を創始者である野口晴哉(のぐちはるちか)は独自の生命哲学として「全生(ぜんせい)」思想と呼んでいます。

体育というもの、体の動かし方や勝負の争い方にあるのではない。本来の持っている力に気づいてそれを発揚し、人間の可能性を開拓する気構えに、体育ということの第一歩がある。(野口晴哉著『風声明語』全生社 p.23)

個性化 - 真の自己を生きる

当院の整体指導においては上に示した全生思想を現代人用に補完すべく、ユング心理学における個性化(individuation)という概念を援用しています。

「個性化」とは感情を含めたこころの全体を使って真に豊かに生きることであり、これによって本来の自己が求める生き方を感覚し、行動していく過程(process)に重きを置く態度のことです。

個性化の道を生きるためには普段活用している狭い自我意識の働きを弱め、広大な無意識の領域を活性化する必要があります。※詳しくは当サイトの「自我と自己」のページを合わせてご参照ください

「意識が閊えたら、意識を閉じて無心(無意識)に聞く」とは生前野口晴哉が折に触れて使用した表現であり、ここに現代における瞑想の必要性が強く問われるのです。

野口はその著書や講義の中において、頭の働きを鎮めて「ポカン」とすることの重要性を繰り返し説き、戦後に興こった物質主義によって、顕在意識の過剰亢進へ向かう日本人の在り方に対し早期から警鐘を鳴らし続けていたのです。

一方、分析心理学を創始したC・G・ユングは西洋近代から台頭してきた、理性を過度に重んじる意識の問題点に気付き、その当時は西洋文明に対し下位に見られ支配の対象でしかなかった東洋や北・東アフリカ、アメリカ先住民の文化に触れることで、人間の〈こころ〉のもつ多元的な可能性に着目し、心理の探究の一手段として東洋的な瞑想法を自身の生活に取り入れていたと言われています。

現代において物質的・経済的豊かさの中で心の病に苦しむ多くの人がいることは、両氏の先見性を実証するものと言えそうです。

無意識という心の未知の領域に対する信頼という点で野口とユングの見解は近似しており、整体法と心理療法とでアプローチの方法は違えど、その道程や目指す所においては通底するものがある、というのが当院の見解です。

充実した生き方 「よく生きる」とは

人間が成熟し自立していくためには、まず目の前の現実にしっかりと向きあい、合理的に対応していくことが求められます。こうした「常識」や「社会性」を身に付けていくことは、およそ思春期の頃から青年期、中年期へかけては人生の重要なテーマです。

しかしながら、このような客観性を重視する生き方(外向型)に「偏りすぎる」と自身の人生において勢い唯物的な見解が濃くなりすぎ、感情や無意識領域を含めた〈こころ〉全体の要求に対しては鈍くなりがちです。

ユング心理学を日本に広く紹介し認知せしめた心理療法家の河合隼雄は、「幸せの姿」というものを説いた時に、「目の前の人生にきちんと向き合いながらも、自分を超えた何か大きな存在ともつながっている感じというのが大切なのではないか」と述べています。

この「自分を超える大きな存在」に相当するものの一つとして、「無意識」を挙げてよいように思います。無意識とは潜在意識や感情をも含む〈こころ〉の広領域であり、体の生理機能との連絡性も強く、常に身体と直接的に影響し合う構造を持っています。

よって身体感覚を正常に保ち良質の刺激を身体から中枢神経系にフィードバックすることで、〈こころ〉全体の力が動員され、総体的に充実した生き方を創造することが可能であると考えられるのです。

ここにおいて「体を整え、全生せよ」という野口の主張は、空虚な観念論や理想主義ではなかったことが窺えます。全生思想は氏の膨大な臨床経験から帰納的に紡ぎ出された、確固とした人間観であり、宇宙生命に対する一つの結論なのです。

せい氣院の整体指導法

野口整体とユング心理学は洋の東西を隔て、それぞれに趣を異にしますが、その真価は形骸化に陥りがりな特定の教義や技法を持たないところにあると当院は考えます。

これは「生きて、動いて、絶えず変化する人間」を相手とする治療や教育という分野において極めて賢明な態度であり、「臨機応変」こそが生命に対峙する者として忘れてはならない不易の手段であると思うのです。

また野口の指導は固定的な価値観や思想の押しつけをせず、常に相手が自ら思い浮かべ自分なりの答えを考え出していくだけの余裕と含みを持たせて行っていたと言われています。

さらに後から勉強する者たちが自発的に学ぶ意欲を高め、既成の理論や常識に固着することなく柔軟に発展させられるよう、「型」の反復を主体にしてその「心」を理解させる方法をとっていました。

ユングも同様、自身の独創性や自由性の反映からか、弟子や生徒が自発的に研究し独自の心理学を発展させられるだけの余地を常に与えていたと言われています。そのためユング派の分析家の多くはみな個性豊かな独立人であったと評する人もいます。

こうしたことは「生きた人間」の実態に迫るべく、一切の先入観を排し、臨床による研究を第一義として生命に挑み続けた両氏だからこそ可能であったものと思われます。

当院としてもこうした先駆者の方法に倣い、目の前の生きた人間をこそ学びの師として宇宙生命の発揚のために尽力したいと考えています。

なお、せい氣院の行っている手法は野口整体の形式を真似て始めたものですが、現在は主宰者の経験と個性が大幅に反映され、独自の形になりつつあります。

妻と二人三脚で作ってきたこのサイトにも、きっとせい氣院の個性の一端が生かされていると思います。こちらの内容に関心をもたれた方はさらに他のページもお読みいただき、来院をお考えの方は利用検討の際にお役立ていただければ幸いです。

2020/08/20