せい氣院

生きづらさの中に潜む創造性

「心の時代」とは何か

21世紀は精神性の時代になるであろう。もしそうならなければ、21世紀は存在しないだろう。

これは、フランスの作家アンドレ・マルロー(1901-1976)によって残された言葉です。

日本でもだいたい80年代の後半には「21世紀は心の時代」と予見されていました。実際に21世紀になってみるとストレス社会という呼び声もすっかり定着し、以前にもまして「心の病」「心の癒し」という言葉を目にする機会も増えました。

そのような現代の特徴として中年期の悩みが挙げられます。かつては仕事のおいても家庭においても、また体力的にも充実して最も安定すると考えられていた時期ですが、むしろこの期間に原因のよくわからない意欲の減退や「うつ」状態に悩まされる人が現れてきたのが近代以降の社会の特徴とも考えられています。

かつてユング心理学では40歳を「人生の正午」として捉え、その前後に起こる価値観の崩壊と再構成のプロセスを「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」と称して重要視していました。また、このことから自らの心理学を人生後半の心理学とも呼んでいます。

「心の病」を抱える年齢層の拡大

しかし価値観の多様化した現代の日本では、そうした「生きづらさ」という目に見えない心痛に悩む人々はもはや中年層に限定されるものではないようです。

それこそ10代の若者から老年期に至るまで、幅広い年齢層の方が社会的立場、性別の枠を越えて自身の「生き方」について深く考える姿はよく見受けられます。ともすれば自覚のある、なしの違いだけで現代は多くの方が精神の危機に陥りやすい状況にあるとも言えそうです。

多様化する「癒し」の世界

そのような世相を反映するように「心の問題」に向き合う手段も拡充し、精神科・心療内科での投薬や対話療法(カウンセリング)をはじめ、世界中の文化に拠った各種の代替療法に加え坐禅やヨガ、気功といった東洋的宗教観に基づいた身体運用法(≒修行)などが心の治療や癒しの手段として適用されています。

一方では急激に「癒し」の選択肢が増えすぎたために、結局自分にとって何がよいのかわからなかったり、いろいろな治療理念を知りすぎたために「〈私〉という個人」に向き合う機会が失われてしまう弊害まで出てきているように思います。

本来心の問題でも体の問題でも二つとして同じものはありません。ですから、ある一つの価値観や治療理念にこだわっていては万人の悩み苦しみに対処することは難しいのが実状なのです。

治癒と成長のプロセス

本当の意味で「治る」ためには、その人だけの固有の治癒手段と心の成長プロセスを踏むことで、「真に自分らしく生きる道」を探がし出さなければなりません。ユング心理学ではこれを「個性化」と呼び、生きた人間が自らのちからで自分を癒し成長していく、その「過程」を重んじる考え方を生みだしました。

この「自分らしさ」を磨き出していく個性化は、どこまで行っても途中(プロセス)であって、終わりはありません。生涯かけて自分の内側から解答を紡ぎ出していくものであり、言い換えれば「いつまでも柔軟に変化しつづける現在」こそが自然であり健康である、とも言えそうです。

一方の野口整体では「病気になるのも治るのも、同じ〈一つのちから〉である」と生命の真理を説いています。

心でも体でも、「苦しいときに治っている」のです。この「病み苦しむ期間を、十二分に活用する」ことで、その後の身体や生き方を充実させようという視点は、野口整体とユング心理学を貫く生命に対する深い信頼の態度を認めることができるのです。

病症と治癒はひとつの現象の二つの側面

また比較的近年に誕生した「ホリスティック医学」という概念はこうした考え方が科学的医療の世界にまで暗に波及したことが伺えます。

ホリスティック医学という分野が確立したことで、それまで主流であった投薬や手術という方法以外のあらゆる手段が治療現場に取り入れられる機運が生まれました。

こうして通常医療と代替医療の双方で様々な手法が生み出された結果、少しずつですが治療法選択の自由が認知されるようになってきたのが現代医療の一つの側面として見て取れます。

あらゆる刺激が治癒につながる

治療というと投薬やクリニックなどの中で行われる医療行為などを思い浮かべますが、「治癒」に至る道はそれだけではありません。

私が過去にお会いした人の中にも、面白い経過を辿って回復された方が沢山おられます。

その中には数ヶ月間に渡って海外をバックパッカーで放浪して帰ってきてから、抑うつ的気分がかなり軽減し、その後数年たっても安定した身心を保っている男性もいました。またこれはある和裁の先生から伺ったのですが、和裁を習いはじめてから皮膚のアレルギーがすっかり出なくなった生徒さん(女性)がいたそうです

このように見ていくと、五感(六感)を通して感知されるあらゆる刺戟(音楽や味、香り、色彩‥etc)は必ず身心に何らかの反応と変化をもたらし、いのちの秩序回復要求を喚起する可能性を秘めているのかもしれません。

「良質な変化」を

当院では現在いろいろな方法の中から「手当て(愉気)」と、錐体外路系の訓練としての「活元運動」そして「対話(カウンセリング)」という3つの手法を主軸にして、ご相談に見えた方の健康保持を援助しています。

ときどき風景構成法という絵画療法を試してみたりもしますが、何か決まった方法に固執せずに常にそのときの来談者の心にぴったりと沿う最適の方法を模索しながら、慎重に進めるように心掛けています。

大切なことはクライエントに「良質の変化」を引き起こすという結果であって、メソッド(方法論)ではありません。

本来治療というのは、クライエントの内面に起こっている「何か」を広い視野で観察し、生命の自発性を導き出すことなのです。

治癒の過程が創造性を生む

本当に何が良いかはクライエントさんの身体と無意識に訊ねて、その方の〈いのち〉に教えていただくより他はないのです。

整体や心理療法の臨床においては、同じ問題やご相談に出会うことはありません。

「臨床」とはお会いするごとに展開するさまざまな問題にぴったりとする答えを二人で協力し合って掘り当てていくという、極めて創造的な作業なのです。

最終的にはクライエントが自分の力で病や苦しみを経過していくことで、自身の生命力を自覚することが何より大切なのです。

そのために当院としましては、お越しになられた方がご自身の体や心の奥底にあるいろいろな思いと落ち着いて向き合える静かな環境を整えることを第一に心掛けています。

治癒のプロセス