せい氣院

治療と経過の違い

上の図を見ていただくと整体というくくりの中に健康と病気が並列に含まれています。

整体法では鈍りや敏感という言葉をよく使いますが、究極に鈍った状態は「死」(反応がない)とすると、病気というのは心身が敏感に反応している状態と言えます。

最近問題視されている「孤独死」はセルフネグレクトと言われる、自身で生活する「意欲」が失われた末に起こるとされていますが、これも鈍りの一つと言ってよいでしょう。
痛みを抱えきれず、ただ終わりを待つということが精一杯の生き方というのは大変心苦しいことですが、そのように考えると「痛みを感じている」ということ自体が生きようとする心身の反応であると言えるのではないでしょうか。

「元気だから病気もできる」という風に考えると健康と病症はコインの表と裏のように一つのものの側面を表しているということがご理解いただけるかと思います。

目に見える症状は最終段階

体の敏感な反応として身近な例をあげますと、発熱や下痢はどなたでも経験したことがあるかと思います。

これは表面的には体内に侵入した異物に対しての反応が痛みや症状となって表出したもので、すでに体が仕事をした後の最終段階です。

表面的な反応が起こるその前に、内面ではそういった症状を引き起こす感情の動きがあります。

大きな仕事や受験が終わった後にどかっと熱が出たり風邪をひくというような経験がある方も少なくないかと思います。

緊張しているときに発熱や下痢はしませんから、緩んだ反応として体の治癒力が優位になり、症状が出たと考えることができます。

副交感神経が優位になる夕方に熱が上がるのも、体が緩んでいるからです。

自律神経失調症は交感神経のバランスが崩れて起こることはみなさんご存知だと思いますが、心身が緊張したままロックされた状態になると交感神経が優位になったまま体が緩まず、不眠などの症状が出たりします。

また、頭が忙しい場合も交感神経が優位になったまま緩むタイミングを失い、バランスを崩すことが多く見られます。

このように体は感情も含めて緊張と弛緩を繰り返して常に変化しています。

痛みや症状はその部分だけを見ると悪いもの、一刻も早く解消すべきものと思いがちですが、体が恒常性機能として行なっている発熱を治療と称して人為的に抑えるとどうなるでしょう。下痢を薬で止めるということは不要なものを腸内に抱えたまま過ごすということになります。

本来は、熱なら熱が出やすいように、下痢なら排出がスムーズに行われるように環境を整えてやるのが自然な考えと言えるでしょう。

病気というものはいつでも調和という流れの中で心身が自動で行なっているものです。

自然に抵抗すればやがてはその抵抗した力が自分に反ってきます。そのことを踏まえて「自然」の力をうまく味方につけようというのが「整体」という生き方です。

自然から離れた環境で生活するような現代では、薬に頼るという選択が避けられない場合も大なり小なりあるとは思います。

そういった場合でも、症状を「自然に経過することの意味、痛みの本質はどこにあるのか」ということを心のどこかに留め置いて選択していくということが自分で健康を保つことの始まりなのではないでしょうか。