せい氣院

体癖

自分らしさを構成する感受性

すべての物質は元素によって構成される、というのは18世紀の物理学の定説でした。人間は物質と違い「なくて七癖」と言われるくらい一人ひとりの個性は濃いものですが、個人の特性を生み出している根本の要素はいくつかの感受性の組み合わせである、というのが体癖論の出発点です

ニュートンはリンゴの落下を目撃して重力をひらめいたと言われています。しかし、これを別の人が見たら「美味そう」と思ったかもしれません。また別の人は「拾って帰ったら笑われるかしら」と思うかもしれません。また別の人は「このリンゴは熟したから落ちたのだ。なぜ熟すとひとりでに枝から離れるのだろうか…」と考えるかもしれません。

体癖は「体のクセ」と書きますが、先にあるのは上のような感受性の特徴的傾向です。そしてそれぞれの感受性が背骨の下部にある5つの腰椎に対応し体運動を特徴づけていきます

腰椎

例えば消化器は左右の体側が縮んだり伸びたりするため、腰椎二番。勝とう、負けまいとすると思わず体を捻じるため、腰椎三番。愛憎、種族保存は骨盤の開閉機構と直結する腰椎四番。というように、腰の動きを起点として、時間を追うごとに動作や体格に独特の雰囲気を漂わせていくことになります。

視覚的に捉えられるためわかりやすく体癖という表現になりましたが、元を正せば感受性の癖なのです。

体癖表

体癖は先に述べたように5つの腰椎に対応し、さらに表と裏に分けて以下のように10種類に分類されます。

体癖表

※1)奇数体癖は余ったエネルギーを身体の特定の部位(動作の焦点となる内臓や器官)を使ってエネルギーを分散しやすく、偶数体癖は逆に特定の部位にエネルギーが籠って、鬱滞する。

※2)11種・12種は変わり種で、いろいろな刺激に過敏反応して体癖分類が難しい体を11種、反対に刺激に鈍く無反応で無機的な壊れ方をする体を12種としています。

例1)消化器型の左右型は3種と4種にわかれています。3種がいつも感情と一緒に胃袋が動く(やけ食いなどをする)のに対して、4種は感情面で何かが引っかかると食べられなくなります。3種は好きな食べ物をよく思い浮かべますが4種は偏食、嫌いな食べ物に敏感です。

例2)前後型は呼吸器(肺)の意識が濃く5種・6種に分かれます。5種は呼吸器がよく発達しており、体を動かして前進することや、周囲から目立つことに関心を持ちます。機械のような合理性を好む反面、相手の感情を受け取ったり非合理的な審美観を問われるような作業(芸術など)はやや苦手です。それに対して6種は目立たないことを好み、身体をうごかすと呼吸器から疲労してきます。また、6種は美しいものきれいなものに敏感です。

長所と短所は同じもの

体癖は欠点として認められることが多いですが、臆病と慎重、大胆と無鉄砲…というように欠点と長所は一つの特性の両面です。こうした心や体の癖は、才能や能力と言いかえることもできます。

例えば野菜を切るときは包丁を使いますが、木や氷のような固いもの切る時は包丁よりもノコギリの方がよく切れます。「機能」というのは環境によって発揮されるのです。人間の才能や特性というのもこれと一緒で、個性というのはもともと善悪や長短とは別次元のものです。

そのために体癖論を理解していくことで人それぞれの得意不得意を理解し、不足を庇い合ったり長所を活かし合ったりして生活していくことが個においても集団においても豊かに生きることに繋がります。

体癖は変らない

このようにある現象に触れたときに思わず感じ、動いてしまうものはどうやら「生まれる前からその人に宿っていて、人間が生きている程度の時間では変わらない」というところまで野口先生は突き止めました。

しかし、人間は社会生活を要求される中でいつも自分の感受性がのびのび発揮される訳ではありません。親に自分の感受性を否定されたり、学校や勤め先でも抑圧されて感じた通りに動けないことが続くと、体の一部に疲労が蓄積し、次第に元気がなくなってきます。

自分の体癖に合わない生活や自分らしさを発揮できない生き方は当人にとって大変不自由でつらいことです。また長い持病の原因を探っていくと、本来のもちまえが発揮できずに生活していることが根本にあったりします。

その人の持つ感受性と生活様式、生き方の不調和を無視して、いま出ている症状を薬で抑えたり、手術で取り除いたりしても根本の問題が解決しませんのでいつまでたっても体の調子がよくなっていきません。

体癖の「修正」とは

このような場合に整体指導を受けたり、活元運動を繰り返し行ったりして頭がポカンとする(体に任せる)機会を積極的に作ることで、本来の感受性に則したもともとの姿に近づいていくことができます。これを「体癖修正」といって整体指導における大切な要素の一つに考えられています。

つまり体癖修正とは生来のものを「矯正(≒強制)」して変えることではありません。体の偏り状態やこれまでのいきさつをよく観察することで、もともとのその人らしさに帰してあげることが修正たる所以です。

身体の在り様を通じて「自分らしさ」を理解していくことは、それぞれの素質に適った生活を築くうえでとても役に立つ視点となります。

体癖各論