せい氣院

はじめに - 整体とは何か

体の秩序

整体とは敏感で弾力のある、活き活きした体のことです。体も心も裡から自然に整ったノーマルな状態を指して「整体」といいます。

ところが一般的には体の外から刺激を加えて曲がった背骨を真っ直ぐにしたり、こわばった筋肉を揉みほぐしたりする技術のことを指してそれが整体だと言われています。

これは整体という名前と行っている技術の外見が指圧やマッサージと区別が付きにくいために、上のような誤解が広まり定着してしまったようです。

しかしはじめに書いたように、もともとの整体は他動的に体を押したり揉んだりするいわゆる手技療術とは別のものでした。むしろこうした治療的な技術とは対極の視座に立って、自分自身の力で体を整え、その力を活かすように生活をすることを旨としています。

何故なら人の体は外からわざわざ矯正しなくても、はじめからバランスを取ろうとして正確に動いているからです。体調が悪く感じたり、怪我や故障が多かったりするのは、もともとの体の秩序に逆らうような生活や当人の考え方に原因があります。

だからといって意識的に睡眠時間を調節したり、食事やお酒を制限したりする必要はありません。睡眠でも食事でも運動でも、適度な量がわからず過ごしてしまう主な原因は「体の感覚が鈍っている」ためです。体が敏感で適度な弾力を保っていれば、生理的な欲求も自ずと調整されるようになっています。

ポカンとする

体が鈍ってしまう原因の一つに現代の忙し過ぎる生活が考えられます。もちろん昔の人の方がきびしい労働条件や、電化製品に頼らない家事や育児などで今よりずっと忙しかったかもしれません。

それでも現代のようにスマホやタブレットのような端末をいつも持ち歩いて、雑多な情報で頭が常に刺激されるようなことはありませんでした。それだけでなく一歩外に出ればたくさんの文字や音、映像がいやおうなしに目に飛び込んできます。これでは気の休まる暇がありません。

日本に坐禅の真髄を伝えた道元禅師による『普勧坐禅儀』の中には「諸縁を放捨し、万事を休息して…」という一節があります。このように休むべき時には一切を手放して、体も頭もすっかりゆるめて休息ことが大切なのですが、こうした環境が昔に比べると今はだいぶ少なくなったように感じられます。

また現代特有の目の酷使や頭の使い過ぎによる疲労は全身に波及します。その結果いつも体のどこかが緊張し、偏った姿勢が常となっている人が増えています。

生活習慣病や病名のつかない不定愁訴といわれるような体調不良が多い原因の一つもこの辺りにあると当院では推察しています。

それ以外にも生きていれば苦悩はつきものですが、こうしたことで体のどこかに緊張が残っていると意識が休まりません。

その結果ぐるぐると堂々巡りの思考におちいったり、絶えず情報の刺激を求めたりと、知らず知らずのうちに心が外に気を取られ、自分自身の体の裡(うち)なる変化や異常感に対して鈍くなってしまうのです。

できれば一日のうちにわずかでも意識を休めて意識以外の無意識に委ねる時間を持つことが養生の鍵となります。頭がポカンとしている時にはじめて体の要求はわかります。体がいま何をどう感じているか、どうしたら良いかがはっきりします。

健康とは無病ではない

体の感覚を鋭敏に察知できれば、小さな異常感に対して即座に反応することができます。食べすぎや寝すぎといった人間特有の弊害も自ずと少なくなります。

反対に体が鈍っていると普段からこまごまとした調整が行われないために、まとめてどかっと大きな病気をしやすくなります。その初歩が風邪ですが、実際は風邪を始めとするもろもろの病気をきちんと経過することで体は本来の位置へと還るようになっています。つまり病気の反対が健康なのではなく、病気という作用自体が健康を保とうとする精緻な働きなのです。

しかし一般的には風邪の経過を薬などで中断してしまうことが多いために、次はもっと大きな病気でないと間に合わなくなります。

実際には整体であることと病気をしてることは矛盾しません。整体と病気、健康と病気はもともと対立するようなものではありません。ただし体が整っているほうが調整がすみやかに行われるので、例えば同じ風邪を経過するのでも一晩の睡眠や一回の入浴だけでもスムーズに抜け予後も快調となります。

よく「元気な子どもは寝相が悪いなど」といわれるのは、敏感で弾力のある子どもの体は寝てる間にさまざまな体勢を取ってその日にあった疲労をみんな解消しようとしているためです。大人になるとこうした力が徐々に鈍っていき、次第に翌日以降に疲れや体の偏りを持ち越すようになっていきます。

それでも体に注意を向けて正しく訓練をしていくことで、年を取りながらでもより敏感で上質な体を育てていくことができます。そしてこのような体を自分で保つ意識をしっかり持つことで自立した健康生活も実現できます。

「整体法」とはこの敏感で弾力のある体を育てるために考案された、潜在意識・無意識を対象とした訓練法の総称です。

整体は自ら保つもの

当院ではご相談にこられた方が「整体を保つ」ために自分でわからないところ、手のゆき届かないところを手助けをする技術しか扱っていません。

なぜなら腕のいい治療者に頼りきりで、あちこち診てもらって押してもらってようやく健康だというのでは、薬や医療に過剰に依存して「健康の問題は人任せ」という構図と変わらないからです。

江戸時代に書かれた貝原益軒の『養生訓』に象徴されるように、かつての日本では「自分の健康は自分の責任で管理する」という考え方が当然でした。しかし明治以降の近代化によって病気は自分の内的な事情ではなく、病原菌のような外的要因によって罹るもの、という考え方が取り入れられたのです。とくに戦後は体調管理や病気の治療を科学的医療の専門家に委ねる風潮に拍車がかかりました。その結果、今では病気でも怪我でも薬や医術に頼らなければ治らない、という思い込みが強く浸透してしまったのです。

そして病気がなければよい、どこも痛くなければそれでよいという考えで自然から逸脱した生活を続け、病気が見つかってからようやく体の心配をして、処置は全部医療機関にお任せというのが現代の常識となっています。

しかし本当は病気でも怪我でも自分の中に原因があり、治るにしても自分の体に力がなかったら治らないのです。例えば手術をしてもその後で骨が繋がったり、傷口がふさがったりするのは体の裡に生を全うしようとするはたらきがあるからです。

この「もともとある力」が正常にはたらくように、体を上手に保つことができれば内外からかかる様々なストレスに抵抗し、またその度に鍛えられ丈夫になっていくことができます。

もちろん急激且つ過度な損傷には西洋医療をはじめとする外力の助けが有効なことは否定できませんが、このような方法だけに頼って一人の生命を一生涯、全面的に支えようと考えることには無理があります

先にも述べた通り、基本的には自分の体は自分で管理することを考えるのか生命本来の在り方に則しています。

そしてこのような考えに立たないかぎり、新しい病気が現れるごとにその治療法や予防法がわかるまで安心して外を歩けなくなってしまいます。

このような観点から考えてみると、2019年から世界を騒がせた「コロナ禍」というのは、近代科学的な衛生観念が生み出した人災と見ることもできるのです。

もともとの力を活かす

病気や怪我をはじめ、身心共に様々なストレスがかかる実生活の中で日々元気に生きるためには、やはり自らの力を充実させるより他ありません。

だからといって整体では無理やり筋肉を増強したり、難行苦行をして肉体や心を強化したりしようとは言いません。

弱いから強くしようというその心はもう自然のものではありません。人間は始めから強くも弱くもありません。ただ自分の〈いのち〉の中にある要求を果たそうと生きているだけなのです。

人間が生きるために必要な能力は始めから〈いのち〉の中に全て具わっています。だからまずは「その力」を正しく理解し、発揮させる道を開拓することが第一です。

そうした能力が素直に現れるようにいつも体をよく整えておきましょう、というのが整体法の最初にあった主張です。しかもこれを身体の裡なる感覚と、人間本来の澄んだ心によって実現していこうとするところに大きな特徴があります。

このように整体は他のあらゆる健康法や治療法と一線を画する独自のものです。当院はこうした考え方に共感し、同じ理想を目指す方に整体法を伝え共に実践していきたいと考えています。

整体に関しては実際に体験をして続けていくことでわかってくることが多いだけに、このページの内容だけでは伝わりにくい面もあると思います。それでもこれから整体法を志す方に少しでも参考になればと思い、文字にできるところを考え書いてみました。

整体指導のお申し込み以前のご相談も受け付けていますので、ご質問等あれば個人指導の申込のページからメールをお送りください。必要な方に整体法を正しく実践していただきたいと願っています。

2023/5/23