メンタルは弱めでいい
何ごともメンタルは強いに越したことはない。
こういう考え方が一般的だが、いろいろな人にお会いしてみるとメンタルが弱い(と思っている)人の方が身体は健全だ。
健全だ、というのは病気をしないという意味ではなくて、身体感覚が正常にはたいている、ということである。
逆にいうとメンタルが強い、とか精神が不安定になりにくいタイプの人というのは大きく二通りに分かれる。
自分の心の全体性をしっかり把握したうえで安定している人と、心の大部分が蓋をされたように閉じられており、狭い自我意識の世界だけが固定的になっている人である。
やっかいなのは後者のタイプで、自分の病的な部分に光があたりにくいので心身症的に体の不調だけは訴えるが、メンタルが「強い」ために深層の問題が明るみに出にくいのだ。
心理カウンセリングや整体指導を受けるとこうした「仮」の安定性はやぶられ、文字通り不安になる。あるいは出どころのわからない不快情動に自我が脅かされ、メンタルの弱さを感じはじめるようになる。
こうなると、心の「治癒」がはじまった、とみていい。
心でも体でも異常を異常と感じれば治るのだ。
このとき当然「苦痛」を伴うのだが、擦り傷でも心の傷でも本当に治るときというのは痛みや苦しさを伴うものである。
メンタルが弱い、と思っている人はこうした心の治癒と自我の再構築が常に行われている場合が多く、不安にさいなまれて心がぐらぐらと揺れているのは生命の平衡要求の現れだと言っていいだろう。
だからメンタルの弱い人というのは、当人的にはつらいが客観的にそのメカニズムを解読してみれば、ある種の健全さが理解されるはずだ。
しかし「弱いことがだめだ」と思ってそれを隠したり強くなろうと足搔いているうちは、その健全な面が死角になりやすい。
忘れてはならないのは病気を治すことや心の欠陥を補償するためにあくせくしすぎて、自分の立ち位置を忘れてしまわないことである。大事なことは「将来に向けて治す」ことではなく「今日をしっかり生きていく」ことなのだ。
自分の欠点や弱さを認め、弱いまま平気で生きられるようなったらそれこそが本当の「強さ」ではないだろうか。