カウンセリングは時間がかかる
暗示やアファメーションで端的に自分を変えようという方法から比べると、正規のカウンセリングはだいぶ時間がかかる。
自分の性格変えたいとか、家族を含めた人間関係の悩み、あるいはもっと漠とした不安や意欲の減退など、これらをカウンセリングで解決しようと思ったら3~4年くらいは一人のカウンセラーのもとに通うこともざらである。
暗示療法とどちらがいいのか、というとこれは方法論の違いでどちらが優れているとは答えにくい。結果の成否もセラピストの力量やクライエントのパーソナリティにもよって変わるだろうから、なおさら平坦な比較は難しい。
ところで前の記事に書いたけれども、下手な暗示法はかえって身心の調子を乱してしまうことがある。臨床経験から言うと、暗示やアファメーションを「にわか」でやってきた人はお腹や背中など、体のどこかにに妙なこわばりを背負っていることがままあった。
このような場合、余分な暗示を入れ込むことで潜在意識に見えざる葛藤を作ってしまったのではないかと考えている。
そもそも催眠や暗示は心理療法の創成期に流行したもので、シャルコーやフロイトといった心理学創成期の治療家はみんな催眠の研究をしている。
ところが上手くはまれば即効性がある反面、クライエントが被暗示性の強い人だと内容の良し悪しに関係なく効き過ぎてしまう。また一方で催眠は効かない人には全く効果がない。
加えて治療プロセスの重心がセラピストにかかりやすいために依存関係になってクライエントが自立できなくなるなど、臨床を通じて徐々にその問題点が明らかになっていったのである。その結果、心理療法の主流は対話を中心としたカウンセリングに譲ることになっていった。
しかしながら、現実にクーエのような暗示療法の大家もいたわけで、やはり人間から遊離した治療技法だけを取り上げて優劣を語るには限界がある。整体指導における野口先生の暗示の用い方も一流のものであったと言われている。とりわけ心身の生理的な波、呼吸の間隙といった整体流の観察と絡めて用いるそれは、余人には真似のできない無二の技術であったと思われる。
いずれにしても人間の生理やこれにともなう心の構造に精通してはじめて心理技法は奏功するもので、催眠や暗示法のメカニズムだけを知って素人が安易に扱えるものではないことは押さえておきたい。
現在の私は「急がば回れ」の思考でカウンセリングの方にやや信を置いている。それ以前に暗示法は難しくて使えない。実際の臨床においてはそこまで意識的な使い分けがなされているかというと、それも曖昧なのだが。
一般的なカウンセリングでもセラピストのちょっとした所作や言葉が暗示的に働いてクライエントを突き動かしていくこともあるだろうし、暗示療法を行いながらセラピストとクライエントに間にラポール(治癒的な心のつながり)が生じて、カウンセリング的に治療が進展していくことも充分考えられる。
特定の技法だけに限定して心理療法を進めるというのは現実から離れた考え方で、実際にはいろいろな技法を知識として学び、自らも治療と訓練を受けたセラピストの人格こそが治療現場では力になっていく。
まあともかく、暗示やアファメーションの良い面だけに捉われて、自分の心を安定的に作り変えられるという安直な考え方に疑問をぶっつけたかったのだ。
自我の再構成(心の治癒的変容)にはやはり正しく合理的な方法と一定の根気、そして歳月が不可欠であることを強調しておきたい。
成人ならば現在の「私」という自我が形成されるまでに要した時間は、年齢の数に母胎内の10か月を足したものがそれにあたる。人格の変容にも相応の時間と労力を想定した方がやはり順当ではないだろうか。