せい氣院

治癒と成長の苦しみ

苦しむことと治ること

カウンセリングが一定進んでくることで、クライエントは今までは「これで良い」と思い込んでいた自分の在り方を自分自身で否定しなければならない局面に至ります。また、それに伴って仕事や生活スタイルにまで変化が要求されることもあります。

心でも体でも本当に「治る」という時には、このような心身全体に影響を及ぼすダイナミックな変革を伴うものなのです。

そこには往々にして一時的な意欲の減退やつよい気分の落ち込みといった病的な体験を伴うこともあるために、多くの患者やクライエントの多くはこうした「自ら治る道」を開拓しながら地道に歩む方法を避け、「対症療法(部分的な治療)」に頼ることで心の深いところに息づく内的な問題を「片付けて」しまおうとする傾向がつよいのです。

ここにアメリカでロングセラーとなったM・スコットペックの著書『愛と心理療法』という本があります。原題は”The road less traveled”といいますが、この「(精神的成長という)行く人の少ない路」というメッセージは、上に記した心理療法の持つ特性を端的にあらわした言葉といえます。

同書の導入部において「心理療法の過程には多くの時間と労力を要すること」、そして「多くの人がそうした困難な治癒と成長の道を避け、慢性的な精神の苦しみと共に生きる道を選ぶこと」が綴られています。

実のところ、「うつ」や「神経症」といった精神的な苦しみのもとには、何らかの形で心の内外に「不適応」を起こしているのです。

これを根本的に解消するためには、新たに再適応を図るべく、自分自身の心の在り様を見直し作り直す心的作業(自我の再構成)の持続が要求されます。

これを逆から見れば、病気という現象が自分の中に潜む身心の偏りを教えてくれているのです。

病気や苦しみは取り除くのではなく、これを見つめより深く味わうことで、病症の背後にある「治ろうとする力」、さらには「よりよく生きようとする〈いのち〉の要求」に気づくことができるのです。

病苦とは、これを活かすことのできる人においては、そのものが〈よりよく生きよう〉とする潜在生命力の現れであり、治癒の力なのです。

治り始めているから痛む

ここで少し視点を変えて、整体法の立場から病症の意義を考えてみたいと思います。整体法を創始した野口晴哉の言葉には「心でも体でも、異常を異常と感じた時から治り始めるのです」というものがあります。

これに因んだものとして、金井省蒼著『野口整体 病むことは力』(春秋社)より、以下の箇所を引用してみましょう。

頭痛で痛みを感じ始めた時は、実は治り始めている時です。頭にストレスがかかっているのは、その前なのです。頭にストレスが加わった後、その状態が治り出している時に頭痛がするのです。/風邪の症状も同じです。…
痛くなる前にガンときたとか、グッときたということがかならずある。…
そのこわばった状態が治ろうと変化するときに痛みとして感じる。だから、体が悪くなったその後に、風邪を引いたり頭痛がしたりするのです。
(p.4-5 /は改行 …は中略 いずれも引用者による)

ここに記されている「頭痛」も「風邪」も肉体的な症状を対象に述べたものですが、その原因となるものはやはり心理的なストレスであることを挙げています。

この様にして受けたストレスを消化(昇華)する手段として、心理的に発症するか、身体的な病気となるかの違いはありますが、このことから先ほど述べた「治癒と成長に伴う苦しみ」という考え方と通底するものが見えるはずです。

整体指導的経験からいっても、「心痛」などといった場合に多くは現在よりも過去に受けたショック(心の打撲)が疼いて回復に向かう時に「うつ」になったりノイローゼになっている、と観て取れることは存外に多いのです(この様に言えるのは、身体、特に背骨の観察による)。

ところが当人からすると最初に受けたショックのことはたいてい忘れられています。つまり充分な痛みを感じずに「心に蓋をしてしまった」と考えることもできるのです。

だからこそ病(やまい)によって潜在する不快情動を再度活性化し、「感じ直す」ことでそのとき受けたショックから解放されようとしている、という仮説も生じてくるのです。

現実に指導の最中には過去に味わった様々な感情体験が想起されて、泣いたり怒りを露わにする人がいるのです。

この様な場合、整体指導者は身体の観察を通じてクライエントの気づきを促すことで自己治癒のはたらきを支援し、病症経過を手伝うことで快癒させようと試みるのです。

ここにおいても「痛み始めた」ということと「治り始めた」ということはやはり同義なのです。

しかし多くの患者もしくはクライエントと呼ばれる立場にある人が、この様な観点から自身の病症の仕組みを巨視的に理解し、自然治癒に向かうことはなかなかむずかしい面があります。

また、薬によって自然に介入し症状の中断を図る科学的医療の行き方に比べれば、この自ずから治るべく自然治癒を援助する方法は時に多くの時間と長い道のりを要します。

あらゆるものが「科学的」に理解されると信じている人ほど、因果性の見出しにくい不可解な自分の身心に向き合うことは、ときに心細く、先の見えない暗がりの中を一人で歩む様な気持ちになる場合すらあります。

こういった諸々の事情を鑑みると、この様に難解な自己分析や病症経過を専門に助ける役目を担う人が求められるのは、自然のことと思われるのです。

カウンセラーという職業にある人は、こうした長く孤独な自己分析に向かおうとする人を、ときに励まし勇気づけながらも、基本的にはクライエントの自ら立ち上がってくる力を信じて「待ち続ける」力を養成された人でなければならないと考えられています。

2020/08/31