せい氣院

心身症(失感情症)の治療を考える

心身症とは何か

心身症とはその名前の響きからよく「うつ」や「神経症(ノイローゼ)」と同じような「精神的な病気」というイメージをもたれやすいのですが、本来は体に現れている病気の中で特に心理的な要因が深く関連しているとみられるものを指してこう呼びます。いま現在、多くの方が利用されている「心療内科」で主に対象とするのがこの心身症です。

具体的には、過換気症候群、気管支喘息(ぜんそく)、アトピー性皮膚炎、蕁麻疹(じんましん)、胃・十二指腸潰瘍(かいよう)、過敏性大腸炎、心筋梗塞、繊維筋痛症、高血圧、腰痛症、癌などなど数多くありますが、どの病気までを心身症とみなすかは現在でもさまざまな意見があり、医師によっては身体上に現れている疾患のすべてを心身症とみなすべきだと考える人もいるようです。

何故かといえば人間の病気を心身一如の態度で観察すると、心理の影響を受けない身体の症状は一つもないことがわかります。ですから身体になんらかの不快な症状があらわれた場合に、身体と精神の両方からその原因を探ることは非常に大切な視点であるといえるでしょう。

心身症の根本にある失感情症(アレキシサイミア)

心身症を患っている方の多くは失感情症(アレキシサイミア)や失体感症(アレキシソミア)という心身の「にぶり」も伴っています。そのために当人の治癒を助ける過程においては、感情や身体の感覚に対する「気づき」を手伝うこが不可欠です。

少し専門的な言葉になりますが、失感情症(アレキシサイミア)というのは文字通り自分の「感情」が自分でよく感受できない症状のことです。失感情症の患者はいわゆる喜怒哀楽といわれるような情動体験を上手く身体上にあらわせなかったり、あるいは言葉で表現できなかったりといった状態に悩まされます。

自分の体に現れている症状についてはこと細かに説明できるのに、「心で感じていること」についてはなんら感知されず、そのため治療者やカウンセラーとのコミュニケーションが難しい、といった問題があります。

これは近年によく見られる、ものごと全般に無関心・無感動な(シラけた)学生や、勤め先の人間関係や規則に過剰適応している(自分の主義主張がほとんど失われている)会社員などに現れやすい状態です。

失感情症になる原因

ではなぜこのような感情の鈍りが起こるのでしょうか。失感情症の原因には諸説ありますが、その一つとして成育環境が挙げられます。

幼児期に保護者や養育者にあたる人物(おもに両親)が、子どもの訴えている言葉や表面に現れた行動だけに反応して、表現される以前の微細な感情(表情や身体の微妙な変化)にはあまり気づいてもらえなかった、という場合に失感情傾向になると考えられています。

感情をこまやかに受け取ってもらえなかった子どもは周囲との緻密なコミュニケーションを「あきらめて」しまいがちです。その結果、言葉においても感情表現されなくなり、解消されなかった心のエネルギーは肉体の病気として訴えるようになります。科学的根拠に乏しいため一概には言えませんが、小児ぜんそくやアトピーなどをその典型として見る向きもあるようです。

なお、このとき患者の主観としては身体的苦痛のみが感じられ、心理的な不快感は意識されていません。

もちろん成人してからでも感情を失わせる出来事はあります。例えば社会生活において人間関係のストレスはつきものですが、このような場合にどこにも訴える人(患者の味方となる人)がいなかったり、どんなに苦しい思いをしたところで事態の改善が望めないような状況が長く続いたりすると、先ほどと同じように感情はにぶり始めます。

失感情症の治癒を助ける方法

さて、このような過程で失感情におちいった場合どのように回復してったらいのでしょうか。これも「こうすれば失感情症が治る」という固定的な治療法があるわけではありませんが一応のパターンはあります。

その一つは「対話」です。

「失感情の患者だって会話くらいやっているよ」と言われてしまいそうですが、これは「日常の会話」ではなく、その人の胸の内が開かれていくような「心の対話」のことをさしています。主に精神科や心理療法室で医師、あるいは臨床心理士によって行なわれるカウンセリング(対話療法)がこれにあたります。

しっかりと保護されて開かれた場の中でクライエントの話をひたすら肯定的に聴いてもらうことで、今まで意識化されなかった不快情動が活性化し、カウンセラーの前で泣き出したり、怒りを現したりすることは対話療法においてはよく見られる光景です。

ただしカウンセラーの力量が及ばなかったり、失感情のレベルが深刻な場合はこのような対話法のみでは改善が見込めないケースも散見されます。そのような背景も手伝って、体から心に働きかけるようなアプローチ法が今日ではいろいろと模索されています。

一例としては自律訓練法、生体エネルギー療法(呼吸法や運動で筋肉の緊張を解く方法)、行動療法などがあり、その他にも動物と触れ合ったり、農作業や園芸のような土いじりをするなど、さまざまな行為に心理療法的効果が期待されています。

他にも自分の感情の認知と表出を助けるような箱庭療法や、よりダイナミックな芸術療法、観劇(心理劇)なども有効と目されています。

さらにスポーツや武道、宗教的な修行においても失感情からの回復は十分望めます。ですがこれらの指導者がそもそも治療を目的そしていないことに加えて、必ずしも人間の心理や生理に造詣が深いわけではないため、偏った指導法(低劣なシゴキなど)によってかえってクライエントの傷を深くしてしまう可能性もあるので充分な注意が必要です。

麻痺した感情を呼び覚ますのは「心」

ここまでお読みいただいた方はもうお解りのことと思いますが、健全な心とは喜怒哀楽の感情がすべて活き活きと感じられている心身のことです。

本来このような心は生まれたとき誰もが持っていたはずですが、先に述べたように感情のはたらきを周囲の大人に上手に受け取って開拓してもらえなかったり、せっかく表現した感情をキャッチしてもらえない、あるいは否定的に受け取られたりしたことで感じる機能が一時的に凍りついたようになって麻痺しているのです。

ですからどんな方法でも良いですから、その凍った心を少しずつとかしていく「もう一つの心」のエネルギーが接触すれば失感情は少しずつ解消され、心身症的な病気も回復の兆しが見えてきます。

せい氣院では主に気の手当てである愉気法と自律神経を整える活元運動カウンセリングを織り交ぜて取り組んでいますが、これらはすべてクライエントさんとつながるための「手段」にすぎないと思っています。

何より大切なことは、苦しんでいる人と同じ心の温度になって接触することです。

人間の精神・身体はいずれも複雑で「こうすれば、こうなる」という再現性や普遍性を見出すことはむずかしいものです。ですが、深い苦しみをかかえたクライエントの傍らに本当の理解者があらわれるとき、そこに必ず癒しは起こります。

慢性疾患を含む多くの病に言えることですが、生きてさえいればやがて治癒・快復の機運は訪れるのです。「その時」が来るまでは苦しいものですが、のぞみを失うことなくいろいろな方法を試してみると、それが一見無駄のようであっても広い視野でみると自己治癒につながる長い一本道であったことに気づかれると思います。