野口整体の整体指導とは

整体指導とは何か

普通の整体では「施術」という言葉を用いますが、野口整体では「整体指導」と言い表します。一般にはあまり馴染みのない表現になりますが、これにはきちんとした理由があります。

整体指導の目標は、身心ともにその人の力によって内面から整っていくことにあります。そしてその整った身体を基盤にして、その人なりの固有の人生(≒アイデンティティ)を日々創造していくことを期待して行なうのです。

そのために手技によって他動的に整えようとする「施術」とは、外から見た形は似ていても中身は別のものなのです。

つまり整体指導は最初から「自立」を前提としています。何か特別な方法に頼って治したり丈夫にするのではなく、逆に頼っているものをどんどん減らしていって、その頼りたい心も更生し、もともとの丈夫な心と体の状態に戻していくのです。

ですから整体指導とは体が弱いからといって余分に守ったり、こわれた体を修繕しようというような消極的な態度ではありません。むしろ整った体を日々育てることで、その人が自分らしく十全に生きていく道を指導者と共に開拓していく作業なのです。

身体の偏り

また普通の整体で「体の歪み」と言うところを、野口整体では「偏り疲労」または単に「偏り」というように表現します。

どんなに身体が曲がったり捻れていてもそれは「歪んで」いるのではなくて、その人なりの心理的事情によって一過性にその様な体勢を取っている、と観ているのです。

すなわち身体が偏る原因はその人の心、観念にあります。

「怒りっぽい」「涙もろい」「気落ちしやすい」などなど、生まれた時にはさほど身に付いてなかったいろいろな感受性を生みす観念が、両親の性格や成育環境によって知らず知らずのうちにその人の心に沁みついています。

このように書くと悪いことのように聞こえますが、どのような感受性でも良いか悪いかというのは一概には言えません。またその人らしい「人格」が形成されていくうえでは避けては通れない、必然の道であるとも言えます。

無論どのような観念であろうとも、結果その人が日々元気で活き活きしていればいいのです。ところが、そうした観念の中には生命力を屈せしめ、本来の体力を発揮させないように作用しているものが少なくありません。

そこで、こういう言わば身体の枷(かせ)になっているようなその人なりの「心の偏り、しこり」に光を当て、自らこれを改めるように導いていくことが野口整体の核心部分なのです。

病気は心を洗い体を整える、いのちの智慧

現代では病気は降って湧いたように偶然かかるものと信じている方が多いと思いますが、病気というのはこれまでに充分生きられなかったその人の無意識の訴えが身体の症状となって現れているものです。

どのような症状であっても身体がそのようになったのは、そのような生活があり、そのような生活が形づくられていった原因は、生まれてから今日までに形成されたその人なりの感受性に基づいた身体的「偏り」にあるのです。

ですからその感受性傾向を正さないかぎり、身体バランスを取り戻すための病気を常に生産し続けます。そこで「潜在意識教育」が求められるのです。野口整体はある時期をもって「病気とは身心の平衡を取り戻す、健康の働き」であることを見究めたのです。

そのために整体指導においては病症をむりやり消すのではなく、これを上手く利用し経過させることで発症する前よりも整った体に戻し、またその人の心(人格)を刷新することに照準を絞って行なっていくのが本当です。

「不整体」の観念を取り払う

ですから「歪んだものに手を加えて整える」のではなく、身体を常に「偏らせている何かを取り除く」ことで、本来の姿に戻していくのです。

これに因んだものとして中国の古典思想の一つ、老子の言葉には「学を為(な)せば日に益す、道を為せば日に損す。之を損し又損して、以(も)って為す無きに至る。無為にして為さざるは無し。」というのがあります。

一般的な健康法とよばれるものの多くはこの「学を為す」態度に近いと言えるでしょう。つまり何かを学ぶことで、現状に何かを加え足していくのです。例えば食事療法でもこういう栄養が必要だとわかると、適量を無視して過剰に取り入れたり、体操でも個人、個体に適した「度合い」ということには無頓着に行うものが大半を占めています。

整体はこれと反対の「道を為す」という方法なのです。つまり無駄なものをどんどん取り去っていく。こうすることで最初に備わっていた身体の「バランス」を取り戻すことに着眼しています。つまり無為自然のバランスを崩している「何か」を見つけ出し、取り除くことが基本なのです。

本当の意味で自然の健康を保つためには、その人の身体の健全な活動を乱している「何か」、つまり不整体にしている「自分自身の心の癖や偏り、不要な観念」を払拭することが大切なのです。

逆に言えばこのプロセスを踏まなければ、本当の意味で自立した健康生活を確立することはできません。最終的には何か特別なものに頼らなくても、その人なりの生活を送る中で、自然に健康が保てるという状態にならなければ指導の意味がないのです。

体が整えることで拓ける人生

現代を生きる人は常に頭を使う状況にあります。そういう意識に偏った現代人に求められるものは、意識を閉じて無意識や身体と深くつながれる時間を設け、積極的に内省を行なうことです。

このように身体を通じて自己を省みることで、はじめて人は自分自身に目覚め、自分だけのオリジナルの人生を拓いていくことができるのです。

ところがこれがなかなか容易ではないことは、多くの方の知るところだと思います。

むしろ現代ではこの世に生まれながら自分自身の要求を使いこなすことができず、むしろそういう要求の存在すら気づかずに生活している人の方が大半を占めているでしょう。

もちろんこのような態度では毎日を元気よく生きて、自分自身が納得のいく人生を創造していくことは不可能です。

そうであるが故に、野口整体は「全力を発揮して、生きているうちに要求を全て使い果たせ」という理想を掲げ、賛同者への実践を促してきたのです。自らの要求を知り、その要求を全て使い果たすことで整体に生きた者は、死を迎えるときに苦しまないのだという考え方です。

創始者 野口晴哉はこれを「全生思想」と表現しています。

つまり野口整体とは「整った体を自分で保ち、全生せよ」と言っているのです。

整体指導とはこのような「志」を積極的に支援する方法に他なりません。

命というのは本当に「掛け替え」がないのです。今日という一日も刻々と過ぎていきます。

そこに厳しさや尊さを感じる人だけが本当に自らの身心に真正面から取り組むことができるのです。

元来、整体指導とは「真面目に」生きようと願う人のために生まれたものです。そのように真剣に生きるということは、その分の苦しみを伴うけれどもそれだけ心の底から楽しく、本当に心地のいい生活ができるのだと言えるでしょう。

今日を十全に生きることで、人生を拓く。

多くの方にこの整体の理念に触れていただき、元気よく生きる人の多い世の中を生み出すために貢献することが整体指導者の役割なのです。

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