発熱の意味

熱は下げてはならない

最近になって医学界においても「発熱」の有益性を認められ、「出ている熱をむやみに下げてはならない」、という考え方が定説となってきました。ですが、一般社会においてはまだまだ「熱は良くない状態」、「治すべき病症」として扱われるのが現状です。いわゆる「常識」といわれるもの、最初に「思い込んだ」ものというのは、無条件にそれが「正しい」と思われやすいようです。

整体指導に通われる方でも半年、一年と経ちますと、「病症は身体を整える働き」というように、ある程度の理解が進んできます。ですがふいに風邪などを引くと、途端に薬を飲んで、余分に寝て治そうとする方がいます。そのたびに頭の「理解」と体の「自覚」というのは、こんなにも隔たりがあるものだといつも考えさせられるのです。

そもそも「発熱」とは菌の繁殖を防ぐためのものですから、その熱を下げるということはバイ菌に加勢することになるわけです。本来はこういうことが「治療」と考えられていること自体が可笑しなことなのです。

下痢なども同じです。腸内にあっては困るものを早く出してしまおうとしているのに、下痢という作用だけを睨みつけて、「お腹が壊れた」、「下痢さえ止まれば良い」というのは大変乱暴な考えで、またそうした行為は身体にとってとても迷惑なことです。本来は、熱なら熱が出やすいように、下痢なら下痢がスムーズに流れ出るように環境を整えてやるのが自然の命に対する礼だと言えるでしょう。

「自然」には逆らわず、むしろ味方につける

古代の中国には「もし黄河の氾濫を止められたら、その人は宇宙の王様(皇帝)になれる」という言葉があったそうです。これについて少し深く考えてみると、そんなことはとても不可能なんだ、という気がします。

科学技術が進んだ現代なら、と思わなくもありませんが、日本の三陸沖で起こった3.11の地震と津波の前に、高度に発達した科学文明が瞬時に押し流されていく姿は記憶に焼き付いているはずです。こんな現実を直視する度に、やはり科学は自然を完全に抑え込むことはできないのではないかという気がします。

自然に抵抗すればやがてはその抵抗した力が自分に反ってきますので、よくよくその性質を見極める必要があります。そしてその「自然」の力をうまく味方につけようというのが「野口整体」という生き方です。整体指導を受けられる方はよくよくこのことを思い返して、心と体に繰り返し沁みこませていただきたいものです。

整体をやるための視点と価値観の転換

整体をやろうとしても最初にこの健康観、病症観が転換されなければ、いくらやっても、整体にならないのです。取って付けたように、良いとこ取りで整体をやろうとすると、「首から下は湯船につかり、頭から氷水をかぶる」というような無茶苦茶な刺戟になりかねません。

まずは生まれてから今日まで、自分の命を保ってきた「ある働き」というものに目を向けることが始まりです。これまで寝ても覚めても必要に応じて熱を出し、下痢をして、身心のバランスを保ってきたものは一体「何」なのか。整体を志すからには、この「ある働き」の方に信を置いて生きるという態度を先ず備えなければなりません。

野口整体の愉気(気の手当て)も活元運動(自然運動療法)もこうしたを自然の力を開花させるための方法であって、身体の働きに抵抗するようなものではありません。整体はいのちの自然を中心に置く考え方であり、また「そのような生き方」をしたいという方のためにあります。ですからここのところを事前によく理解していただいてから、着手していただきたいとも思っています。