野口整体による身心の変化(横浜市 Mさん)

横浜市 Mさん 40代女性

 


せい氣院に通う前は、長年の身体の痛みやさまざまな不調、数年来の腰痛に悩んでいました。病院や治療院に頼るだけではだめだと思い、愉気や手当てでセルフケアできそうな(と私の目には映った)野口整体を選び、ネットでせい氣院を見つけて必死の思いで飛び込みました。

申し込み時に書いた長年の不調は読み切れないほど長く、先生に自分の辛さを一生懸命訴えた記憶があります。また、思春期からいろいろ問題を抱えた息子のこともご相談したら、「あなたが変わっていけば家の中もいい方向に変わっていきますよ。」と言ってくださいました。

整体指導を受けはじめて

初回の指導後すぐ、ずっと悩まされていた腰の違和感が少し消えて希望が見えたものの、指導中に体を動かす(活元運動がよく出る)ので翌日以降の体がつらく、またちょうど忙しい時期で思うように通えず歯がゆい思いもしました。きちんと正座をすることが大切だと教わったので、日常生活にも正座を取り入れました。

具体的には、朝起きた時に正座をして気持ちを落ち着けたり、テレビを観る時にも正座をよく意識したりしました。

数回目の指導中のある瞬間、今まで感じたことのない、温かくすっぽりと包まれるような、過去の自分が少し許されたような、安心感を感じたことがありました。私は人見知りするところがあって、指導前後はいつも緊張していたのですが、その安心感は私の身体に残って時折よみがえり、印象的でした。

その後も日常生活でさまざまな体調不良(脚が痛くて歩けない、朝起きられないなど)が続き、「なぜだろう?治したい。」と思うことも多く、状況的には手探り状態でしたが、全体的に見て以前より確実に元気になってきている、体力が付いてきていると感じていたので続けていました。

始めて7カ月ほどたった頃、下痢と胃腸の不調が長引き、セルフケアをしても治らなかったので先生に報告しました。先生は自分で行なったケアの内容について、「その方法は素人が一人で行うのは難しい、間違った理解はよくない。」と言われました。私は下痢の時の腹痛やその後の胃腸不良に長年悩まされてきたので、それを治したかったのですが、先生は「下痢を止めたいと思っているのだったら、指導を受けないですぐ帰った方がいい。」と言われました。

もちろん指導を受けて帰りましたが、その日は私もそれまでになく自分の本音で話してぶつかって、いろいろと考えるところがありました。そのやり取りの中で動揺し、数日間は自問自答を繰り返しました。

朝比奈:野口整体は病症を「治す」技術ではなく、身体を整えて自然に経過するのを「待つ」行為です。身体に現れている病症を「止める」ということは自然治癒力による経過を打ち切ることとなり、本来の「治癒」とは違う結果(身体)になってしまいます。

このことで自分の覚悟を試されたような気がして、もっと真剣に「野口整体」に取り組み、先生にも遠慮せず納得いくまでぶつかっていくべきかもしれない。今までは体調不良が起こると、ネットで対処法を調べて情報の正誤も確かめず鵜呑みにしてきましたが、そういう態度では自分の変化が望めないのだと思いました。

「不調が起きたら愉気や足湯などのテクニックを使って自分で治す」ものだと考えていた野口整体の本来の目的は、「病気になっても自己(自然)治癒力が発揮され、病症を経過して自分で治る敏感な身体になること」で、そのために愉気や活元運動があるのだということが、この頃に解り始めました。また、それは治療ではなく自己鍛錬であり、私が先生から学ぼうとしている「道」なのだ、とも思いました。

ずっと前から先生は私にそうおっしゃっていましたが、頭ではわかったつもりでも本当の意味では理解していませんでした。この日の指導がきっかけで野口整体への理解が深まったので、後から振り返るとこの一連の出来事は大切な転機となりました。

またこの時に、先生が「下痢は感情のお掃除だ。」とおっしゃった言葉にも心当たりがあり、その後下痢を悪いものと捉えず自分の身体が必要とするから起こるのだ、と思うようにしました。ある日下痢の後寝込みながら、じいっと自分の身体に注意を向けていると、ゆっくりと息を吸いたくなり、だんだんと息が深くなり、背骨を後ろに反らせたくなり、胸が開き気持ちがよくなりました。そうか、私の体はさっきまで縮こまっていたんだな、こんな状態になりたかったんだな、それを教えるために下痢をしたんだな、と素直にそう思えました。その後も何回か繰り返すうち、ずいぶんすっきりと経過できるようになり、おまけに下痢をした後の胃腸の不調の期間も気付いたら短くなっていました。

指導開始から約一年後に風邪をひいて、15年ぶりくらいに38度5分の熱が出ました。頭も痛く体も相当辛かったのですが、この時に困ったことは「野口整体=薬はだめ」という私の誤解が頭から離れなくなったことでした。薬を飲まないと熱が上がりすぎて大変なことになるんじゃないかという不安と、薬を飲むことへの罪悪感に引き裂かれ、先生に電話してしまいました。先生は落ち着いて話を聞いてくださり、「何が何でも薬を飲まないほうがいいという訳ではない。」、「ご自身で様子を見て、必要だと思ったら飲まれたらいかがでしょうか。」と言ってくださいました。お話したことで随分落ち着き、電話を切りました。そのあと急に過去の後悔が溢れてきて、普段言えないようなことを家族に謝ったりして、それも不思議な体験でした。

熱が下がった後にしみじみと思ったことは、「何が何でも薬を飲むべきでない。」なんていうのはおかしな考えで、薬が必要な時だってあるということでした。なんでそんな当たり前のことが判らなかったんだろう、と思いました。またこんな風に「薬を飲まないという考え」に固執することは、「身体の要求」を重んじる野口整体の思想とは対極にあるものだとも思いました。

風邪は長引き咳がひどくなったので結局病院にはかかりましたが、抜けた後はすっきりして、久しぶりの本気の風邪でいろんなものが排出されたような気がしました。

朝比奈:「野口整体」というものに対して、こちらのMさんのように「薬を飲まず、医者にも掛からず」という変わった思想(信仰?)という印象を持っている方が時々いらっしゃいます。たしかに、身体感覚が細やかに発達することで、医薬に頼らない生活を実現できますが、「薬を飲まないことが目的」ではありません。自分の身心(生命)に信頼を持てるように、「病気は医療が治すもの」という常識から自然と離れていかれるのです。またそれは無理やり「そう思い込む」ことでもありません。身体にすっかり沁みついて「あたりまえ」になるまで繰り返し繰り返し個人指導や活元指導の会などで体験を増やすことが肝要です。

気づくと、初期に悩まされた指導翌日以降のしんどさはずいぶん減り、翌日にも普通に動けるようになっていました。

その後、前回から今回の指導の間に起こった不快な出来事を、指導前に話す時間をとってくださった時期がありました。元来自分の感じたことを書くのが好きな私は、何か起きるたびに熱心に記録しました。おかげで「あの出来事が起こったから、私の身体がかたよっているんだ。」ということには気付けるようになりましたが、記録して不快を反芻し、先生に話すためにまた反芻し、余計に憂鬱になるというジレンマに陥りました。そのような行きすぎた不快探しが自分にとって辛くなっていたことに気付き、徐々にこだわりすぎるのはやめました。今振り返るとこの経験も、「快、不快の感覚」に身体で気付く訓練になったのかもしれないと思います。

その後も、日常生活で起こった問題を聞いていただきながら活元運動を続けているうちに身体が柔軟に動くようになり、以前のような痛みや怖い感じも減っていきました(活元運動の最中に出るストレッチがはじめのうちは痛かった)。指導後の正座も少しずつ上手くできるようになり、正しく座れた時は、下半身がどっしりして上半身の力が抜け、何も考えない状態になることができました。

またこの頃、腰痛で中断していた山登りに4年ぶりに行き、当日は腰痛が出たものの、その後は少し筋肉痛が残った程度で普通に過ごせました。一時期「もう山登りはできないかもしれない」とさえ思った私が、この時ブランクを気にせずに行けたということは、自分がさほど腰痛を気にしなくなっていたことの証で、私はいつの間にか自分の意識が変化していたことに驚きました。またこの経験で、自分の足腰が丈夫になったことを強く実感しました。

またある時期に、先生が「事実」と「思考」の違いについてお話されることが増えました。「事実」とは自分と、目の前に広がる世界のことで、そこに色々な思いをくっつけてあれこれ思い悩んでしまうのは、みんな「考え」の世界なのだと言われました。その思考の世界に囚われて、そちらの方を実態だと思ってしまうから苦しくなるというお話です。最初はおっしゃっていることの意味がわからなかったというか、「当たり前のことをおっしゃっているなあ。」と感じましたが、それはその言葉の本当の意味を私が理解していなかったからでした。

ある日、自宅で悩み事に囚われていた時、「今私の頭の中にある悩み事は、私の思いが作り出した〈考え〉なんだ。」と気付き、その途端悩み事がすっと消え、同時に肩甲骨間の力が抜け、目の前の景色がパッと目に飛び込んできて(それまでも景色は見えていたのだが、より色が濃くなりダイレクトに目に入ってくる感じ)、身体の感覚(特に腰や背骨)がしっかりと意識される、という瞬間が訪れました。

それはあっけなく訪れたけど、「ああ、こういうことだったのか。」、という感覚でした。さっきまで悩みの最中にいた私は、憂鬱で何となく視界も狭く体も重かったけど、悩みから解放された途端、気分が晴れて身体の気持ちよさが実感されました。またこの時に「実は私は、元から〈健康〉だったんだ。」と自覚できた瞬間でもありました。

現在の身心の状態・これからの目標

指導を受けた年月を振り返る中で、自分の人生について改めて色々なことに気づきました。指導開始時に切々と訴えた長年の不調は、体のつらさであると同時に、「私はこんなにつらいんです、なんとかしてください、助けて。」という心の叫びだったのではないか…長年たまりにたまった、吐き出すことのできなかった感情や、子育てに対する不安や後悔や自責などが私の体を緊張させゆがめて、その結果体調不良を起こしていたのではないか…その体調不良に対して過剰に不安になり、さらに悪化させていたのではないか…。

特にここ数年、腰痛に悩んでいる時の私は、腰痛自体はだいぶ良くなってきた後でも自分が「健康」だと思えず、半病人のような気がしていました。一生、腰痛を気にして囚われて生きていかなければならないのか、自分の体調を案じて庇いながら生きていかなければならないのか…そのことが耐えられないと思う一方、同時に仕方ないとどこかであきらめかけてもいました。自分で自分の身体(=生命)が信じられない、ちゃんと生きていない状態でした。でもある時、身体の深い部分で「そんなのおかしい」と気づき、「もう腰痛から卒業しよう」って思えたから、野口整体にめぐり合えたような気がします。

整体指導では、「活元運動」や「型としての正座」の訓練などを通して、身体を整える鍛錬を行いました。活元運動の後の、「何も考えない」、「ただそこに在るだけ」の状態は、野口先生がおっしゃるところの「ポカンとした」状態なのかなと思い、その清々しさは格別のものだと感じます。正しい正座ができたときの、どっしりとした下半身と脱力した上半身の感覚を習慣化していけたら、多少のことには動じずに生きていけそうです。

また先生との会話は自分と向き合う作業でもあり、自分の姿や考え方の癖が客観的に見えてきました。今までの自分はいろんな事情があり、苦しかった、寂しかった。自己肯定感が低く、自分を表現するのが怖く、自分の殻に閉じこもっていた。また自分の頭でものを考えず、物事を正しく理解しようともせず、中途半端な知識やマニュアルに頼っていた。主体的でなく、受け身の姿勢で生きてきた。などなど。

中でも特に、夫との関係を直視できたことは重要な出来事でした。同じような状況でいつも繰り返される言い争いや違和感の、本当の正体。自分をさらけ出すのが怖くて呑み込んできた複雑な気持ち。指導の中で浮かび上がってきたそれらを、時には冷静に、時には勇気を振りしぼって混乱しながらも伝えてみて、自分の気持ちを率直に伝えることは人間関係を築く上でとても大切なことだと感じました。また家族がバラバラに感じられるのが長年の悩みだったので、「私はきちんとした家庭を育みたい。私たちは家族なんだからお互いを大切にしたい。そのために目の前にいる人にきちんと向き合ってほしい。私も努力するからあなたにもきちんと役割を担ってほしい。」と夫に伝えたら、受け止めてくれたようでした。息子たちもまだまだ未熟な部分はありますが、徐々に成長していると感じており、また以前より家族で親密に過ごせる時間が増えたことは私にとっての大きな喜びです。

朝比奈:この頃(指導を受け始めてちょうど一年くらい)のMさんは重心が骨盤までしっかりとさがり、呼吸が深く安定してきたように見えていました。重心がさがることで頭が休まり、落ち着いて話し合うこと(本当の対話)が出来るようになった、という「実体験」を語っていらっしゃいます。

腰痛を治すために始めた野口整体は、身体の状態の改善だけでなく、精神的にも大きな実りをもたらしてくれました。野口整体を実践する中で、自分の中には大きな力があることに気づいたし、その使い方は自分の意志で決めるものだと思います。また他の人にも同様に「内なる力」があるのだから、その力を信じたいと思います。自分の力を信じて生きていけるということは、無限の可能性が感じられ、こんなにも晴れやかな気持ちなのですね。

今ようやく、正しく座り、日々起こる不快情動を全身(特に下半身「腰・肚」)で受け止めることができるようになり、不快な感情に翻弄されない、自立した身心のあり方に気づいたと感じます。

今後はさらに身体感覚を深め、自分の内なる要求を感じてすぐに行動できるような生き方を実現していきたいです。