野口整体とは
野口整体とは明治から昭和初期まで生きた教育者 野口晴哉(のぐちはるちか)によってまとめられた独自の体育(体を育てる訓練)法です。
はじまりは野口の少年時代に関東大震災に被災した折、近所の下痢に苦しむ患者に行った偶然の「手当て」が奏功したことが評判となり、その後多くの人が施療を求めて集まりました。この活動が後に創設される整体協会の原点となったそうです。
野口はその後様々な病人患者を治療すべく研鑽を積み、若くして民間療法家として自他ともに認める当代随一の実力者となりました。
しかしいくら自身の腕前が上がっても一人の治療者が救える人の数には限りがあること、また治療技術が巧妙になればなるほど患者は自身の生活を改めずに治療者(野口自身)に寄りかかろうとする傾向に疑問を持ちはじめます。このような経験を積むにつれ「治療」という枠組みの中では人々を自立させ真の健康へ導くことはできないという結論に至ります。
これに加え近代化に伴う「治療行為」に関する法規制、及び国内外の情勢の変化等々、諸々の事情が複雑に絡み合い、野口は自身の立ち位置を治療家から教育(体育)者へと昇華させました。
こうした経緯から野口整体では人の体を刺激し調整する技術を治療や施術と言わず、「整体指導」と呼ぶようになりました。また指導を受ける人のことを患者とも呼びません。野口の身体観・病気観においては、病症も日々変化する身体の位相の一つ(健康に向かうはたらき)と捉えるため、患者、つまり「(病気を)患っている人」はいない、という見解からです。
また整体指導を行う者が体を調整する技術を整体操法と言います。これが素人目には他の手技療術(按摩や指圧、マッサージなど)と見分けがつきづらいことや、カイロプラクティックのような外国の療術の訳語として「整体」が当てられたことなどが影響して、市井に乱立する様々な民間の手技療術を指して整体と呼ばれるようになりました。
後に「整体」は分岐と伝播を繰り返し、民間の様々な手技療術を示す一般名詞として市民権を得ます。その結果源流・元祖ともいえる野口の整体を他の亜流と区別するために「野口整体」と呼ばれるようになったと考えられます。つまり「野口整体」は野口オリジナルの整体を指すための通称、もしくは尊称とも言えます。
野口整体は野口の独自のコスモロジー(宇宙観、生命観、死生観)のもとで、一人の人間を受胎前から最後の息を引き取るまで一貫して行われる体育教育です。
この野口の独創的な思想と技法を構成する要素を個々に挙げると、催眠(クエイズム)、フロイトの心理学、霊術(手当て・霊動)、老荘思想、易経、禅(臨済録)等に分類されます。
野口の存命中はこれらが統合性を持って一つに纏められ、その総称である「整体」の象徴、具現者である野口の強力な求心力をもって独自の世界観が強固に保たれていました。しかし同氏の死後はその高度な技術は失伝し、その他の業績についても後継者、或いはその周辺の人物たちによって様々な解釈が付与され、往時の姿は失われつつあります。
以上のような経緯から「野口整体」に普遍的な定義はありません。その内容においても個々の実践者のカラーが反映され、日々変化し続けています。
当院の野口整体
当院で行っている整体は、野口晴哉の晩年に整体協会で学んだ故・金井省蒼の設立した会派「気・自然健康保持会」にて、院長朝比奈が学んだものがベースになります。
金井氏は野口整体の現代(平成当時)における社会的立脚点を模索し、これを科学的な学問分野の俎上に挙げて「野口整体とは何か」「整体指導とはいかなる行為か」を論理的、客観的に実証しようと苦心していたことが院長の記憶に強く残っています。
また同氏は後継者育成のための勉強会において、井深大、湯浅泰雄、石川光男、河合隼雄、立川昭二といった実業家や学者の著作を引きながら、野口整体を現代人が論理的に理解し実人生に役立てていく道を模索していました。こうした流れのなか氏の指導理論にはユング派(河合隼雄派?)の心理学が自然と融合されていました(生前金井氏は自身の指導スタイルを「野口整体金井流」と称していました)。
ちなみに院長が金井氏の下に通ったのは通算で10年、うち入門して師事した期間はわずか3年余りです。よって習得に20年かかると言われている野口整体の指導者としては後継者を名乗る資格はありませんが、上記の会を離れた後も野口晴哉先生に私淑し、その真意を追体験すべく細々とですがこの道を歩んでまいりました。
令和に入ったあたりからネット上の情報量が爆発的に増えて「野口整体」も多様化していますが、当院は比較的保守的な部類に入ると思っています。
私にとっての野口整体
私(院長朝比奈)は28歳の時に金井先生を通して野口整体を知り、それ以後は現代の常識とは異なるコスモロジーの中で生きてきました。その間、病院にかかったのは歯科を除けば皮膚科に一回と会社員に義務づけられる健康診断くらいです。また妻が長男を出産する際は当たり前のように自宅出産を選択しました。
決して無理ややせ我慢をしているわけではなく、それで十分事足りるからそうしてきた、というのが正直なところです。その気になれば誰でもこのような生き方ができるのですが、現代では多くの人が病気や怪我は病院にかかって処置を受けなければ治らない「と思い込んで」いるために自らに眠る力を発揮できないでいます。また特に必要性も感じないので端(はな)からからそんな「狂気じみた」ことをしようとも思わないのかも知れません。
こうした振舞いから野口整体を傍(はた)から見ている人の中には、「病院にかからないことが野口整体」だと思っている人もいます。もしくは何か狂信的な信仰や指導者の方針(の押し付け)でもあるかのように考える人もいます。しかしこれらはいずれも間違った見解です。整体の目的はただ体の裡の要求によって生活し、生を全うすることです。言葉にすると簡単ですが、豊富な知識を蓄え、知能が複雑にはたらく人間にとっては「ただ生きて、ただ死ぬ」ということが至難であるため、人によっては整体指導が有効となります。
整体によって医薬に頼らずとも体が自動的に再生していくプロセスを体験すると、自身の体に対する見方が徐々に変わってきます。こうした体験は自然と生命に対する畏れと謙虚な心を育て、「生命に対する礼」の心も芽生えてきます。こうした積み重ねがその人の確固たる生命観や人生観の種となり、長じて一人の人間を内面から律していく力となるのです。
現代は医療が高度に発達していますが、こうした確たる人生観や死生観がないために、老いたり死に直面したりした時に右往左往してしまう人がいます。
私にとっての野口整体は世の中の見方を一変させるものでした。当時(平成の中期頃)の世の中に蔓延する合理主義と拝金主義に席巻されたステレオタイプの人生観を一蹴し、自分の中にある「裡(うち)の要求」を指針として生きる道があること、そのように生きられることに深く感じ入りました。
人類は有史以来、個人においても社会においても、よい生き方、そして理想的な死に方を模索してきた歴史を持っています。欧米に限定すれば中世までは宗教がそれを担い、近代以降は科学が宗教を駆逐して人の幸福や生命の保全を請け負うようになりました。
科学は部分的にはその役目を果たせましたが二十世紀の終盤に差し掛かることには、生きた人間の心と体、そして生命そのものに関しては科学で答えが得られないことも科学自身の論理によって明らかになりました。
科学においては人体は機械と同様に扱われ、使ったり古くなったりすれば壊れる「モノ」として考えられます。そして目に見えない「いのち」や「こころ」は無視されるか、可視化できる物質現象に無理やり当て込まれていきました。しかし現実には、すべての生き物は太古の昔から生命に内在する合目的性とその活動を司るエネルギー(気)によって、今日まで体と命を繋いできたのです。
有用無用、様々な情報に頭を汚された私たちが再び生命への信頼と尊厳を取り戻すには、「科学的であること」を妄信するのをやめ、生命の智を自身の体験によって実証するよりほかありません。
その手段としていろいろな方法があってよいと思いますが、私の場合はそれが野口晴哉の整体を追求することでした。私にとっての野口整体は現代における生き方、死に方の指南書であり、それは次代に求められる普遍的宗教の一つのモデルにもなり得ると考えています。
